渡良瀬ネイチャリングアクトは渡良瀬川の釣り人による渡良瀬川のサポーターの会です。このブログは、渡良瀬川をいつもの釣り場にする釣り人たちが会の活動と四季折々の川の様子をお伝えしていきます。
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織都桐生の原点をちょびっと見る
2011年11月04日 (金) | 編集 |
(かんりにん)
「水車のあった水路を見に行きませんか」とSさんから誘われました。
 ヤマメ発眼卵配布の終わったあと、桐生市役所駐輪場から少し先の織姫町まで、年期の入ったSさんのワンボックスを追いかけました。

◆ 行き先は市役所から200mほど渡良瀬川方向に行ったところです。


 粉挽き用の水車は子供の頃よく見かけましたが(年がわかるなー)、織都桐生の水車は撚糸用で「上げ下げ式水車」と呼ばれていました。(水車の画像は下の「桐生織物と撚糸用水車の記憶」をご参照下さい。自前の画像がなくてすみません)
 この撚糸用水車が、明治30年(1897)には写真の赤岩堰用水で237台、深川屋さんのある新宿だけでも150台あったそうですから、当時の盛況がうかがわれます。

(左)上流取入れ口方向。(右)放流された錦鯉。
11_PB030096_.jpg 11_PB030091_.jpg
 この水路はその動力源になったもので、渡良瀬川と桐生川の間に幾筋もはりめぐらされていました。
11_PB030089_.jpg
 当時は水量も写真の数倍はあって、魚も取れたそうですが、今は、放流された錦鯉と、人の気配でさっと物陰に飛び込むニゴイの姿が見られるだけです。
(左)水路脇の居酒屋「水車」、元は水車小屋でしょうか。(右)下流の分岐、まっすぐが新宿--深川屋さんの方向です。
11_PB030093_.jpg 11_PB030083_.jpg

(この水車と動力源になる用水路については、NPO法人:桐生地域情報ネットワークのHPにある「新・あすへの遺産 桐生織物と撚糸用水車の記憶」というページに詳しく紹介されており、参考にさせて頂きました。)


◆ もう一つ見に行ったのは、日本織物株式会社が明治20年(1887)創立時に設置した発電所の遺構です。

 足尾銅山に作られたものなどに次ぐ、国内3番目の水力発電所だそうですから、桐生と織物の近代史を飾る産業遺産であることは間違いありませんね。

当時の日本織物全景
11_PB030110_.jpg

 その場所は、丸山下(上毛電鉄鉄橋から下流左岸に見える岩山ですね)の岩盤を掘った導水路が、今の市役所や市民文化会館(日本織物の跡地なのです)に向かってまっすぐ伸びた先、桐生厚生総合病院の敷地になります。
 その取水口が、ご存知「イワダン」の下手にある、現在の元宿浄水場の取水口だといえば、ははーんと思う方もおられるかと。(下の地図を北西方向にドラグすると、JR両毛線の先に「イワダン」があります。)


 現在は、渡良瀬川の水を通した発電所の水門周りと、発電機、桐生市で製造された煉瓦積みが残っています。

(左)全景。(右)216キロワット発電機の一部
11_PB030112_.jpg 11_PB030102_.jpg
(下)水門跡
11_PB030114_.jpg

 今回は「西の西陣、東の桐生」を支えたインフラの原点にちょびっと触れさせて頂きました。
 2箇所の見物だけでいうのは気が早いにしても、桐生市の「産業遺産」は、某所のレンガ造りの遺跡なんかではなくて、どれも現在稼働中のインフラにしっかりとつながっているように感じられます。フライフィッシングという世界で、素晴らしい才能をさまざまな場面で見せてくれるのも、この街の持つ、そのような大きなポテンシャルの表れの一つなのではないでしょうか。


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